功山寺

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鎌倉時代創建、唐様(からよう)建築の美しさを保つ仏殿は、わが国最古の禅寺様式を残しており、国宝に指定されています。

また数々の歴史の舞台となったところで、毛利元就に追われた大内義長が自刃したり、高杉晋作が明治維新の転機となる旗揚げをした寺としても知られ、境内には馬上姿の晋作の銅像も置かれています

 

 大内義長のものと言われている墓や、初代秀元をはじめ9人の藩主達の墓が仏殿裏にあります。桜と紅葉の名所です。

 

 所在地  下関市長府川端1丁目2-3

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩10分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩10分

 問い合わせ 功山寺 083-245-0258

 

長府沖にある満珠・干珠島

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 その昔、朝鮮から新羅の大軍が攻めてきた時に、神功皇后が龍神から授かった2つの珠(潮干る珠・潮満る珠)を使って、船で近づこうとする新羅軍を「潮干る珠」で足止めし、船を降り攻めてきた新羅軍を「潮満る珠」で滅ぼしました。

 そののち、神功皇后は軍船を整えて、いよいよ新羅へ渡り、敵を打ち破り、やがて神功皇后の軍隊は勇ましく長門の浦に凱旋してきました。

 凱旋の後2つの珠を海中に返すと、この二つの島になったという伝説があります。

 忌宮神社の飛び境内地で、両島の樹木は国の天然記念物に指定されています。

 平家が滅び武士の時代の始まりとなった壇ノ浦の源平船合戦では、海峡の潮流に詳しい長府・串崎の水軍が源氏方へ味方し、源氏はこの島周辺に本陣を構えたといわれます。

 関門海峡のいたるところから望見できますが、二つの島が寄り添うように見える豊功神社や御船手海岸からの風景が最も良いといわれています。

 

 所在地  下関市長府沖

 交通   豊功神社 JR長府駅からバス9分「松原」下車、徒歩7分

           JR下関駅からバス21分「松原」下車、徒歩7分

      御船手海岸 JR長府駅からバス9分「松原」下車、徒歩10分

            JR下関駅からバス21分「松原」下車、徒歩10分

 問い合わせ 長府観光会館 083-246-1120

 

豊功神社

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応神天皇、武内宿祢、穂田元清、毛利秀元をはじめ長府藩歴代の藩主を祭神としているお宮で、むかし、龍神を祭った社であったといわれていますが、慶長7年(1602)毛利秀元が長府藩主として移って来たとき、宮崎八幡宮を安芸国より勧請して中殿とし、左に櫛崎八幡宮、右に高良大明神を祀り、松崎八幡宮というようになりました。

 大正6年(1917)6月に、藩祖秀元以下歴代の藩主を祭った豊功社を忌宮境内からこの地に移して各社を合祀すると、櫛崎、宮崎、松崎という社号を廃して現在の豊功神社としました。

 境内の海側一帯が展望台小公園となっており、神話伝説の島として知られる満珠・干珠の二島を眼下に望むことができます。

 所在地  下関市長府宮崎町4-1

 交通   JR長府駅からバス9分「松原」下車、徒歩7分

      JR下関駅からバス21分「松原」下車、徒歩7分

 問い合わせ 豊功神社 083-246-0124

 

櫛崎城跡

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慶長5年(1600)10月10日関ケ原の役で西軍に付いた毛利氏が、防長2国に減封され長府に支藩をおいた際に、36,200石の初代長府藩主となった毛利秀元が同年11月2日櫛崎を居城と定めました。

 古くは、西の海に勢力を誇っていた藤原純友の配下の稲村影家がつくったともいわれ、その起源は大変古いといえます。大内氏の時代には、内藤隆春がこの城にいました。

 江戸幕府の出した元和元年(1615)閏6月13日の一国一城令によって、山口高嶺城、岩国横山城と共に櫛崎城の城郭が取り壊されました。

 現在は、旧城内にも人家が建ち、石垣や城内の土塀、井戸の跡、櫓門跡などからはわずかに当時の面影をしのぶことができます。

 海に近い高台は、関見台公園として整備され、とおく豊後水道や関門海峡を見渡すことができ、櫛崎城への海からの入り口であった「御舟手」の海岸へも降りることができます。

 

 所在地  下関市長府外浦町1番

 交通   JR長府駅からバス9分「松原」下車、徒歩7分

      JR下関駅からバス21分「松原」下車、徒歩7分

 問い合わせ 長府観光会館 083-246-1120

 

下関市立美術館

IMG_0300.JPG狩野芳崖、高島北海、香月泰男など、下関ゆかりの作家の秀作をはじめ、国内外の名画、古代オリエント美術などを収蔵・展示しています。

狩野芳崖 1828〜1888

 藩御用絵師の子として幼い頃から画才を発揮しました。

 維新後の不遇時代を経てフェノロサに見出だされ、新時代を代表する画家として活躍し、名作「悲母観音図」を残しました。

高島北海 1850〜1931

 幼時から画に親しみ、官吏退職後、画家として名を成しました。

 仏留学中に浮世絵や水墨画を紹介し、アール・ヌーヴォーに大きな影響を与えたことでも知られています。

 

 所在地  下関市長府黒門東町1-1

 交通   JR長府駅からバス10分「美術館前」下車、すぐ

      JR下関駅からバス20分「美術館前」下車、すぐ

      下関 I.Cから車で10分

 問い合わせ 美術館 083-245-4131

 

覚苑寺

IMG_0166.JPG 元禄11年(1698)藩主毛利綱元が開基。中国福建省の人、宇治黄檗山万福寺七世・悦山道宗禅師を招き、開山として創建したものです。

悦山以来学僧が相次ぎ、藩士の中から従学するものが多く、長府藩文教興隆の拠点となりました。

 庫裏は明治6年(1873)に勝山御殿の一部を移したものです。

 境内には明治時代の武人である乃木希典像と日本画の代表者である狩野芳崖像があり,和同焼の窯元もあります。

 付近一帯は、金属貨幣「和同開珎」を鋳造した長門国鋳銭所跡地で,国の史跡指定を受け鋳銭遺物は重要文化財として現在長府博物館に寄託展示されています。

 また、たくさんの楓の木があり、紅葉時期には大勢の観光客が訪れる紅葉の名所となっています。

 

 所在地  下関市長府安養寺3丁目

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩15分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩15分

 問い合わせ 覚苑寺 083-245-0649

 

長府庭園

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 毛利長府藩の家老、西運長(にしゆきなが)の屋敷跡で、大正末年頃から、大洋漁業の中部氏の所有となり、また戦後の一時期は進駐ニュージーランド軍司令官の宿舎にされたこともありました。

 平成2年に下関市が買い上げ、整備し、平成5年5月1日に開園しました。小高い山を背にした約3万平方メートルの敷地には池を中心に書院、茶室、小川があり、四季折々に庭園美を楽しみいながら散策できる回遊式日本庭園です。

 

 所在地  下関市長府黒門東町

 交通   JR長府駅からバス10分「美術館前」下車、すぐ

      JR下関駅からバス20分「美術館前」下車、すぐ

      下関 I.Cから車で10分

 問い合わせ 長府庭園 083−246-4120

 

乃木浜総合公園

IMG_0046-1.JPG 芝生公園と芝生グラウンドを中心に、野鳥観察所、大型遊具、親水広場、散策道などのある公園です。

 池や干潟など野鳥が好む環境が整備され、野鳥観察所では気軽にバードウォッチングが楽しめます。

 親水広場は面積約2770平米で、水深約15〜20センチと浅く、落差7メートルの人工滝は幅38メートルもあり、水鉄砲や霧吹きポンプ、噴水などがある大規模なものです。

 休日には、親子連れで楽しめる場所として人気があります。

 

 所在地  下関市乃木浜2丁目

 交通   JR長府駅前からバス7分「高磯」下車、徒歩16分

      小月 I.Cから車で9分

 問い合わせ 乃木浜管理棟 083-248-3081

 

日頼寺

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極楽寺と呼ばれていましたが、天正年間、毛利元就の四男元清(毛利秀元の父)が父の位牌を安置し、元就の法号「日頼洞春」にちなみ「日頼寺」と改称し、元就の菩提寺としました。

 この日頼寺の境内には、宮内庁の管轄地となっている「仲哀天皇殯歛の地」という一画があります。

 仲哀8年(199)1月に穴門の豊浦宮から、筑紫の橿日宮に移った仲哀天皇は、神がかりした神功皇后に伝えられた神託を信じず、熊襲討伐を強行しましたが成功せず翌9年(200)2月に亡くなられました。

 皇后は大臣武内宿禰に天皇の遺体をひそかに豊浦宮にはこばせ、そこで壇の上という所に祭壇をつくり殯を行い、この地に仮埋葬したという塚が現在でも残されていいます。

 

 所在地  下関市長府侍町1丁目10-1

 交通   JR長府駅からバス9分「松原」下車、徒歩5分

      JR下関駅からバス21分「松原」下車、徒歩5分

 問い合わせ 日頼寺 083-245-0384

長府藩侍屋敷長屋

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 この建物は、長府藩家老職であった西家の分家(長府藩御馬廻役、220石)の本門に付属していたものを、保存のため移築したものです。

 中央に出入り口を配し、一見長屋風ですが、構造の重厚さ、特に仲間部屋格子窓の造り等は、上級藩士の住居の趣をよく残しています。

 壇具川沿いのこの地には、藩政時代、番所が設けられ、ここより南つまり藩主の居館のある方への出入りを監視していました。

 

 所在池  下関市長府侍町1丁目1

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩15分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩15分

 問い合わせ 長府観光会館 083-246-1120