海峡ゆめタワー(海峡メッセ下関)

 

西日本一の高さを誇る143mの展望室からは、東に周防灘、対岸の九州に挟まれ歴史に残るドラマに満ちた関門海峡、西に水平線の彼方まで限りなく広がる響灘と、360度の雄大な眺望が目の前に広がります。

 あなたの旅の思い出に、この本州西端の景色や季節・曜日によって変化する夜間ライトアップを是非加えてほしいものです。

 所在地  下関市豊前田町3丁目3−1

 交通   JR下関駅から徒歩7分

      下関 I.Cから車で15分

 駐車場  150台タワー利用者は、5時間無料

 問い合わせ 海峡メッセ下関 083-231-5600

 

 

 

 

 

 

下関港国際ターミナル

 

韓国・釜山、中国・青島,中国・蘇州太倉との国際航路が発着する国際港湾都市・下関の海の玄関口です。

 釜山へは1日1便、青島へは週2便、蘇州太倉へは週1便、フェリーが就航しています。

 所在地  下関市東大和町1丁目10-60

 交通   JR下関駅から徒歩7分。

 問い合わせ 下関港国際ターミナル観光案内所 083-235-6052

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大歳神社

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 有明山(現在の竹崎付近)のふもとに、四軒の漁を生活のもととしている家があったことから、この地方に「四軒家」という地名が生まれ、その漁夫達が藍島へ出漁する度に石を持つて帰り、それをまつるために小さな社を造ったのが始まりといわれています。

 また一説によると、

 源平合戦のとき源義経が有明山に陣をしき、小さな松を植えて浅間神社の大歳神を祭り、桑の木を使って弓矢を作り、神前に捧げて戦勝祈願祭を行なったといわれ、のちその弓矢をもって、対岸の彦島にある平知盛の軍へ射込んだので、驚いた平家軍は壇之浦へ舟を進め、ここに源平の合戦となったと伝えられており、竹崎付近の漁民は、のちにこの戦勝の神を崇敬したといわれています。

(大歳神社の由来による)

 所在地  下関市竹崎町1丁目13-10

 交通   JR下関駅から徒歩5分

 問い合わせ 大歳神社 083-223-0104

東光寺

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 高杉晋作らは元治元年(1864)に功山寺で挙兵し、新地会所を襲撃したあと了円寺にたてこもったが、合流してくる同志たちで手狭になったため、本陣を豊前田の高台にあったこの寺に移しました。

 所在地  下関市豊前田1丁目1-23

 交通   JR下関駅から徒歩9分

 問い合わせ 東光寺 083-222-2153

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日和山公園

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 昭和11年に建てられた高杉晋作の銅像は第二次世界大戦の金属供出で失われ、現在は昭和31年(1956)、没後90年を記念して再建された備前焼の陶像が立っています。

 ライトアップもされています。

 また、日和山公園は春の桜の名所として知られ、高杉晋作陶像を取り囲むように桜の花が咲き誇ります。?

 所在地  下関市日和山

 交通   JR下関駅からバス2分「細江町」下車、徒歩8分

      下関 I.Cから車15分

 問い合わせ 下関市公園緑地課 083-231-1933

光明寺

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 文久3年(1863)4月、高杉晋作と共に萩・松下村塾の双璧と称された久坂玄端は各地の浪人などを引き連れ、京都から下関へ帰り長泉寺を宿舎にしましたが、のちに細江の光明寺にうつりました。この一団は「光明寺党」と呼ばれ、高杉晋作が奇兵隊を結成した際、その母体となりました。

 

所在地  下関市細江町1丁目7-10

 交通   JR下関駅からバス2分「細江町」下車、徒歩2分

 問い合わせ 光明寺 083-222-0156

 

 

 

 

 

 

六連島

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 日本書紀にも「没利(もつり)島」として登場する歴史のある島で、「六連島」の由来は、大小6つの島が連なっている様子から、この名が名付けられたという説と、西教寺を開いた麻生与三衛門高房など6名が初めて六連島に渡って、土地を分けるために縄で島を6等分したためという説があります。

 島の中央部の台地(標高約100m)では、温暖な気候であることから花きのハウス栽培が盛んで、収穫された花は北九州などへ出荷されています。

 島内には、日本でもっとも早く建造された洋式灯台の一つである六連島灯台や、国の天然記念物に指定された雲母玄武岩など名所旧跡が残されているほか、ウニの瓶詰め発祥の地でもあります。

 所在地  下関市六連島

 交通   竹崎渡船場から連絡船が毎日4往復運航、所要時間は20分

      竹崎渡船場まで、JR下関駅西口から徒歩5分

 問い合わせ 下関市営渡船事務所 083-222-1305

了円寺

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 天和3年(1683)西祐の開基。現在地よりも後方の山のふもとに、畠山重忠の孫、法名了円というものが、既に創建していたものであると伝えられている。

 元治元年(1864)12月15日、長府功山寺で決起した高杉晋作たちが、新地会所を襲撃したあと、暫くの間たてこもったお寺です。

 本堂の柱には、挙兵軍の兵士たちがつけた刀傷が今でも残っています。

 所在地  下関市大平町10-20

 交通   JR下関駅からバス6分「了円寺」下車、徒歩2分

 問い合わせ 了円寺 083-222-0783

桜山神社(招魂社)

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桜山神社招魂場は文久4年(1864)1月、晋作の発議で新地岡の原(通称桜山)に創建されたもので、慶応元年(1865)8月には社殿も造営され鎮座祭が行われました。

 かつてこの地は奇兵隊の調練場でもあったところで、創建当初は文久3年の下関攘夷戦で戦死した奇兵隊士の霊を弔うものであったが、後に四境・戊辰の役の戦死者や、長州の尊皇討幕運動に輝かしい名をとどめた吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、さらには山県有朋らの霊も加えられた。

 本殿裏には396柱の霊標が整然とならび、中央の吉田松陰のものがやや高く、両側には高杉晋作、久坂玄端が並び、士庶の別なく同じ高さである。側面に奇兵隊の役職や没年を刻んだものや、ただ名前だけの霊標もあり、維新に散った志士たちがまつられています。

 所在地  下関市上新地町 2-6-22

 交通   JR下関駅からバス5分「厚生病院前」下車、徒歩5分

 問い合わせ 桜山神社 083-222-6735

高杉晋作療養の地

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 慶応2年(1866)6月に始まった四境戦争(第二次長州征伐)では、奇兵隊などの諸隊を率い幕府軍を小倉口で撃退しましたが、既に病に冒されており、9月突然多量の喀血をみて10月に職を解かれ、療養に専念することになりました。

 病状が進み白石宅から、桜山神社の近くに小さな家を建てて移り、野村望東尼、愛人おうのの看病による療養生活を送りました。

 この家を東行庵とも捫蝨処とも称したと言われています。

 

 

 

 

 

 所在地  下関市桜山町

 交通   JR下関駅から高尾線バス4分「厳島神社前」下車、徒歩3分

 問い合わせ 下関市観光振興課

 083-231-1350