日頼寺

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極楽寺と呼ばれていましたが、天正年間、毛利元就の四男元清(毛利秀元の父)が父の位牌を安置し、元就の法号「日頼洞春」にちなみ「日頼寺」と改称し、元就の菩提寺としました。

 この日頼寺の境内には、宮内庁の管轄地となっている「仲哀天皇殯歛の地」という一画があります。

 仲哀8年(199)1月に穴門の豊浦宮から、筑紫の橿日宮に移った仲哀天皇は、神がかりした神功皇后に伝えられた神託を信じず、熊襲討伐を強行しましたが成功せず翌9年(200)2月に亡くなられました。

 皇后は大臣武内宿禰に天皇の遺体をひそかに豊浦宮にはこばせ、そこで壇の上という所に祭壇をつくり殯を行い、この地に仮埋葬したという塚が現在でも残されていいます。

 

 所在地  下関市長府侍町1丁目10-1

 交通   JR長府駅からバス9分「松原」下車、徒歩5分

      JR下関駅からバス21分「松原」下車、徒歩5分

 問い合わせ 日頼寺 083-245-0384

長府藩侍屋敷長屋

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 この建物は、長府藩家老職であった西家の分家(長府藩御馬廻役、220石)の本門に付属していたものを、保存のため移築したものです。

 中央に出入り口を配し、一見長屋風ですが、構造の重厚さ、特に仲間部屋格子窓の造り等は、上級藩士の住居の趣をよく残しています。

 壇具川沿いのこの地には、藩政時代、番所が設けられ、ここより南つまり藩主の居館のある方への出入りを監視していました。

 

 所在池  下関市長府侍町1丁目1

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩15分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩15分

 問い合わせ 長府観光会館 083-246-1120

 

笑山寺

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 長府藩始祖毛利秀元によって、亀ノ甲 にあった廃寺潮音院を現在地に移して再建。実母の位牌を安置し、その法名にちなんで妙寿寺と改称したのに始まるといわれます。

 彼の没後、二代藩主光広が承応元年(1652)秀元の父穂田元清の霊位を功山寺から移し、その法名「洞霊寺笑山常快」にちなみ「笑山寺」と改称されました。

 長府毛利家の菩提寺の一つで、境内左奥には二代光弘、七代師就の墓や県内では貴重な鎌倉時代後期の特徴を伝える十三重の石塔(高さは3.28m)などがあります。

 所在地  下関市長府川端2丁目4-1

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩10分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩10分

 問い合わせ 笑山寺 083-245-1012

 

平家塚

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山あいの里、高畑は壇の浦の合戦(1185年)で滅んだ平家の落人が隠れ住んでいたところと言われています。

 平家塚は、その落人の墓と伝えられているもので、碑の横をさらに奥へ進むと、古い五輪塔六基ほかの墓石がひっそりと建てられています。また登り道の反対側にも二基、切通しの市道の向う側にも四基あり、どの墓も、すぐ前の青い海を丘の上からじっと眺めているようです。

 ここは「平家薮」とも言われ、かってはここに一歩でも入ると、ふるいがつき、たたりがあると恐れられてきたそうですが、今は月一回地元の婦人たちの手で清掃され、香華が手向けられているとのことです。

 

 所在地  下関市大字高畑(野久留米街道から600m)

 交通   JR下関駅からバス18分「浜浦台」下車、徒歩15分

      下関 I.Cから車で9分

 問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350

 

長府万骨塔

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博物館

 長府の篤志家、桂弥一(かつらやいち)が、昭和8年に私財を投じて建てた長門尊攘堂を昭和55年(1980)4月に郷土の歴史博物館として開設しました。

 幕末・維新の資料を数多く展示しています。

 主な収蔵品には、長門国鋳銭遺物・長府毛利家遺品・幕末維新関係資料等がああります。

 

 

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万骨塔

 隣接した高さ7.7メートル、直径13メートルの土饅頭型の万骨塔は、明治維新を中心として、国事に命を捧げた名も無き人々の霊を供養するため、弥一が建てたものです。 塚には「一将功成って万骨枯る」の碑と日本各地から寄せられた石が供えられています。

 毎年十月二十日この塔の前で慰霊祭が行われています。

 

 所在地  下関市長府川端一丁目

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩10分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩10分

 問い合わせ 長府博物館 083-245-0555

 

功山寺山門

 

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 功山寺略年表によると、長享元年(1487)暴風雨で倒壊した山門を、安永2年(1773)10代藩主毛利匡芳が再建したとあります。

 山門は下関市指定文化財となっています。

   指定年月日 昭和四十五年三月四日

 この壮大な二重櫓造りの功山寺山門は、安永二年(1773)長府藩主 十代 毛利匡芳の命により建立(再建)されたものです。

 

 山門(三門)とは、本堂に入るのに通らねばならない門、三解脱門(空・無相・無作)にたとえ、その略からといわれています。禅宗の門にみられる三間三戸二重門。二階楼上に釈迦・十六羅漢を置くのが普通ですが、この櫓の中には市指定文化財(彫刻)の二十八部衆立像が、国宝の仏殿の中から移されて安置されています。

 

 建築様式の特色として、土間に自然石の礎石(礎盤)を並べ、本柱四本と控柱八本で支えられた重厚な門、入母屋造り、本瓦で葺かれた屋根は見事な反りを見せています。

 

 また、櫓を支えている太い十二本の柱は全て円柱で柱の上部を僅かに円く削り込み、その下部先端は急に細めた、粽型となっています。

 

 山門の建築資材は、これまで度々修理が施されていますが、その箇所を除いて、すべて欅の素木を用いて建てられています。

 

 木鼻等の彫刻物、および組物を含め簡素な中にも重厚さを秘めた功山寺の山門は、この時代の禅宗様式を今に伝える貴重な文化財です。

   下関市教育委員会

 

 所在地  下関市長府川端一丁目

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩10分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩10分

 問い合わせ 功山寺 083-245-0258

 

長府毛利邸

 

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 明治36年(1903)、長府毛利家14代藩主の元敏によって建てられた邸宅で、明治天皇の行在所(宿泊所)としても使われたところです。

 昭和23年、下関市に移管され迎賓館や福祉館として利用されていましたが、平成10年4月に観光客用の施設として改装しオープンしました。

 重厚な母屋と白壁に囲まれた、書院庭園と池泉回遊式の庭園が往時を偲ばせてくれます。

 

 所在地  下関市長府惣社町4-10

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩10分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩10分

 問い合わせ 長府毛利邸 083-245-8090

 

総社跡

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大化改新(645年)により律令制度が全国に施行されると、中央から任地に赴いた国司は、着任後最初の仕事が管内の全ての神社を巡拝することでした。

 しかし時代が下って平安中期以降になると祭祀やしきたりが怠りがちとなり、管内の神社を国府に近い便宜の場所に集めて一社を建て総社とし、そこを詣でることで管内神社の巡拝にかえるようになりました。

 

 長門国府があった長府でも国衙にほど近いこの位置に長門国の総社が建立されており、昭和四十年代までその社の一部を見ることができました。

 このあたりは現在でも惣社町と呼ばれており、総社と同意語で国府時代に総社があった名残です。

 

 所在地  下関市長府惣社町

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩10分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩10分

 問い合わせ 長府観光会館 083-246-1120

 

菅家長屋門・古江小路

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菅家は、長府藩祖毛利秀元に京都から招かれ、侍医兼侍講職を務めた格式ある家柄です。この長屋門は、代々藩中医家随一の名門にふさわしい構えを見せており、武家の屋敷構えとその趣を異にしています。

 また、長屋門を中心に左右に延びた石垣の上の練塀は、建物との調和をよく保っており、練塀が続く小路の家並みと共に、もっとも城下町らしい風情を残しています。

 

 所在地  下関市長府古江小路町2番

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩7分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩7分

 問い合わせ 長府観光会館 083-246-1120

 

忌宮神社

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忌宮神社の由緒によれば、第十四代仲哀天皇が九州の熊襲を平定のため御西下され、この地に皇居豊浦宮を興して七年間政治を行われた旧址で、天皇が筑紫の香椎で崩御されたのち御神霊を鎮祭し豊浦宮と称した。

 

 その後聖武天皇の御代に神功皇后を奉祭して忌宮と称し、さらに応神天皇をお祀りして豊明宮と称した。

 三殿別立の古社(延喜式内社)であったが、中世における火災の際豊浦宮、豊明宮を焼失、中殿に合祀して一殿となり、忌宮をもって総称するようになった。

 

 忌とは斎と同義語で、特に清浄にして神霊を奉斎する忌みであると言い、

現在の社殿は明治十年(1877)の造営で、昭和五十六年(1981)に改修したものと言われています。

 

 この社の夏祭として毎年8月7日から1週間続く「数方庭祭」は、1,800年の歴史を持つ天下の奇祭として有名であり,市の文化財に指定されています。

 境内には数多くの文化財を所蔵する宝物館や,蚕が初めて日本に渡来した地としての記念碑等があります。

 

 所在地  下関市長府宮ノ内町1-18

 交通   JR長府駅からバス7分「城下町長府」下車、徒歩5分

      JR下関駅からバス23分「城下町長府」下車、徒歩5分

 問い合わせ 忌宮神社 083-245-1093