旧下関英国領事館

IMG_1534.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 幕末の元治元年(1864)、英、仏、蘭、米国の4ヶ国連合艦隊が下関を砲撃した「下関戦争」の際、英国指揮艦ユーリアラス号に通訳として乗り込んでいたアーネスト・サトウは、後に英国駐日公使となり、下関に領事館が必要なことを報告し、明治34年(1901)に全国で三番目の英国領事館が開設されました。

 外交、交通、経済の拠点として栄えた下関の歴史を伝える、赤レンガづくりのこの建物はわが国に現存する最古の領事館建築で、明治39年(1906)に建てられ、設計者は長崎の英国領事館の建築を担当した、ウイリアム・コーワンと言われています。

 レンガも全て母国から運ばせ、アールヌーヴォー調のマントルピースやタイルが、当時の領事の暮らしぶりがしのばれます。(国指定重要文化財)

 現在は市民ギャラリーとしても利用されています。

 所在地  下関市唐戸町 4-11

 交通   JR下関駅からバス7分「唐戸」下車徒歩すぐ

 問い合わせ 旧下関英国領事館 083-231-1238

日清講和記念館

IMG_1356.JPG

 

 

 

 

 

 

 

日清講和記念館は、日清戦争(1894)の講和会議に使用された調度品や写真、その他の貴重な資料などを広く一般に公開、展示するため、昭和10年(1935)から2年かけて春帆楼に隣接して建てられたもので、館内中央には当時の様子が再現されています。

 日清講和会議は、明治28年(1895)3月20日から4月17日まで下関の「春帆楼」で、清国講和全権大臣・李鴻章と日本全権弁理大臣・伊藤博文を主軸とする両国代表11名によって行われました。

 会議が29日間行われたのは、清国の大使李鴻章が3月24日午後4時ごろ宿舎引接寺への帰途、凶漢に狙撃され負傷したため会議が一時中断したからです。

 会議は4月10日に再開され、17日に清国の李鴻章と日本の伊藤博文の間で日清講和条約(下関条約)が調印されました。

 所在地  下関市阿弥陀寺町

 交通   JR下関駅からバス9分「赤間神宮前」下車、徒歩2分

 問い合わせ 教育委員会文化財保護課 083-231-4697

旧秋田商会ビル(下関観光情報センター)

IMG_1535.2.JPG

 屋根に突出した塔屋がひときわ印象的なこの建物は、大正4年(1915)に木材取引中心の商社活動と海運業を営む秋田商会の事務所兼住居として建てられたもので、当時海岸が間近に迫り、屋上の塔屋は灯台の役目をしていました。

 洋風の外観ですが、2階と3階は書院造住宅、螺旋階段で上る屋上には日本庭園や茶室もある和洋折衷のユニークな建物です。現在は観光情報センターとして、建物内部も公開しています。

 西日本初の鉄筋コンクリート造りのビルで、日没から22:00まで夜間ライトアップされます。

 所在地  下関市南部町 23-11

 交通   JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩1分

 問い合わせ 下関観光情報センター  083-231-4141

赤間神宮

IMG_0272.JPG

<

 源平壇之浦の合戦に敗れ、わずか8歳で関門海峡に入水された安徳天皇を祭神とする神宮で、壇之浦を望む水天門は鮮やかな竜宮造り、「海の中にも都はある」という二位の尼の願いを映したものといわれます。

 境内には安徳天皇阿弥陀寺御陵、平家一門の七盛塚、小泉八雲の怪談で有名な「耳なし芳一」の木像が祭られている芳一堂、「長門本平家物語」「源平合戦図」など貴重な資料のある宝物殿等があります。

 毎年5月2日から5月4日まで、平家一門への回向として同神宮で行われる先帝祭では、上臈道中・上臈参拝が5月3日に行われます。

 所在地  下関市阿弥陀寺町4-1

 交通   JR下関駅からバス9分「赤間神宮前」下車、すぐ

 問い合わせ 赤間神宮 083-231-4138

下関南部町(なべちょう)郵便局

IMG_1535.1.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明治33年(1900)に建てられた下関に現存する一番古い西洋建築です。

 設計は逓信省(ていしんしょう)技師の三橋四郎で、外壁のレンガは厚さ60センチという堅固なものです。また、国内最古の現役郵便局舎でもあります。

 建設当初の雰囲気を残す中庭と建物に関する資料展示コーナーもあります。

 所在地  下関市南部町22-8

 交通   JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩1分

 問い合わせ 下関南部町郵便局 083-222-0161

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平和のシンボル関門橋

050_IMG_2.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 海峡の潮の流れが変わるように、時代の流れの変化にかかわりのある関門海峡です。

 太平洋戦争中も米軍機は執拗に機雷投下を繰り返し海峡閉鎖を狙いました。下関市史によると、日本の沿岸各地に投下された機雷数は総計11,090個、このうち、半数近い4,696個の機雷が関門海峡に投下された。

 この機雷の被害は投下早々から続出し、安全水路の確保に努力したが、被害は増すばかりで8月に入ると、ほとんど関門海峡は閉鎖状態だった。昭和20年8月15日太平洋戦争の終結により、4ヶ月あまり続いた関門に対する機雷攻撃は終止した。

 戦後、あちこちに沈船のマストのみが海面に露出している光景が見られ、船の墓場と化した関門海峡も、懸命の掃海作業によつて昭和27年5月15日港湾、航路の安全宣言が行われた。

 ところが実際には、安全ルートをはずれた海域を航行する船舶の触雷事故はその後も発生し、昭和40年代まで関門の掃海を継続したと言います。

 今眺める関門海峡には多くの船舶が行き交い、本州と九州を結ぶ関門橋が架かる、その景観は実にすばらしく美しい、いつまでも平和な社会であってほしいものです。

 所在地  下関市みもすそ川町

 交通   JR下関駅からバス12分「みもすそ川」下車すぐ

 問い合わせ JH下関管理事務所 083-232-2811

青春交響の塔

IMG_1227.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 維新発祥の地・下関のシンボルとして、平成15年(2003)に維新の志士「高杉晋作」、「坂本龍馬」のモニュメントが、慶応2年(1867)6月小倉戦争で共に幕府軍と戦った関門海峡を望める場所に建立されました。

 新しい時代の幕開けを共に夢見ながら、新時代の誕生を見ることなく逝った高杉晋作と坂本龍馬の友情が、二本のそりのある石柱で表現されています。

 所在地  下関市あるかぽーと

 交通   JR下関駅からバス5分「西南部」下車、徒歩5分

 問い合わせ 下関観光情報センター  083-231-4141

関門トンネル人道

IMG_1522.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 関門国道トンネルは全長3461.4mで、昭和33年3月に開通しました。

 下関側車道入り口は、約1.4km離れた場所にありますが、御裳川から対岸門司のめかりとの間780mは、世界的にも珍しい歩行者用海底トンネルです。

 関門トンネルの人道口からエレベーターを利用し、地下55mのエレベーターホールへ 降りると、約15分で関門海峡を歩いて渡ることができます。

通行可能時刻 6:00〜22:00、歩行者無料、自転車・原付は20円。

 所在地  下関市みもすそ川町22-34

 交通   JR下関駅からバス12分「みもすそ川」下車すぐ

 問い合わせ JH下関管理事務所 083-232-2811

 

 

 

 

 

 

市立しものせき水族館 海響館

IMG_0340.JPG

 

 

 

 

 

 

 

「海のいのち、海といのち」をメインコンセプトにした水族館。

 世界でも数体しかない、シロナガスクジラの全長26mの骨格標本展示をはじめ、世界中のふぐの展示、約900トンという大型スケールで海峡の潮流が再現される「関門海峡潮流水槽」、関門海峡を背景にイルカとアシカのショーが楽しめるアクアシアターなど、見どころいっぱいです。

 磯の生き物を直接触ることができるタッチングプールや、パソコンで好きな色を塗って、水槽で泳がすことができるバーチャル水族館などは、子どもたちに大人気です。

 所在地  下関市あるかぽーと6-1

 交通   JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩4分

 問い合わせ (財)下関海洋科学アカデミー 083-228-1100

みもすそ川公園

IMG_0686.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 公園前に広がる海は関門海峡の一番狭まったところで早鞆(はやとも)の瀬戸といわれ、潮の流れが速く、潮流の変化が激しい海の難所です。

 ここは、源平壇之浦合戦の古戦場を一望出来る場所で、当時を偲ぶ義経・知盛像や石碑、歌碑があります。

 また、幕末の攘夷戦で外国船を砲撃した砲台跡でもあり、今もレプリカの長州砲が関門海峡をにらんで展示されています。

 所在地  下関市みもすそ川町1番

 交通   JR下関駅からバス12分「みもすそ川」下車すぐ

 問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350