下関市立美術館

IMG_0300.JPG狩野芳崖、高島北海、香月泰男など、下関ゆかりの作家の秀作をはじめ、国内外の名画、古代オリエント美術などを収蔵・展示しています。

狩野芳崖 1828〜1888

 藩御用絵師の子として幼い頃から画才を発揮しました。

 維新後の不遇時代を経てフェノロサに見出だされ、新時代を代表する画家として活躍し、名作「悲母観音図」を残しました。

高島北海 1850〜1931

 幼時から画に親しみ、官吏退職後、画家として名を成しました。

 仏留学中に浮世絵や水墨画を紹介し、アール・ヌーヴォーに大きな影響を与えたことでも知られています。

 

 所在地  下関市長府黒門東町1-1

 交通   JR長府駅からバス10分「美術館前」下車、すぐ

      JR下関駅からバス20分「美術館前」下車、すぐ

      下関 I.Cから車で10分

 問い合わせ 美術館 083-245-4131

 

源平船合戦海上パレード

紅白の旗や幟をたなびかせて、鎧武者が乗り込んだ80隻あまりのいくさ船が関門海峡で合戦模様を再現しパレードします。
源平の最終決戦である壇之浦の戦いを武者や官女に扮した方々が時代絵巻のごとく再現していきます。このパレードの模様は唐戸地区のボードウォークより一望できます。

http://kaikyomaturi.kanmon.tv



赤間神宮先帝祭 上臈参拝本殿

 

寿永四年(1185年)3月24日、平氏は本州の西端、長門壇之浦の合戦で源氏に敗れ、その短い栄華の夢を終えました。
わずか8歳の安徳幼帝が祖母二位の尼に抱かれ『波の底にも都の候ふぞ』の言葉とともに、波間におかくれになりました。
「関の先帝 小倉の祇園 雨が降らなきゃ金が降る」
といわれるこの祭は、入水された安徳幼帝をとむらうため、その命日に女臈に身を落した平家の官女達が参拝したことに始まったものです。


 

2017年しものせき海峡まつり特集(関門・九州TV)
http://kaikyomaturi.kanmon.tv

下関市立考古博物館

 

下関考古博物館は、弥生時代にこの地で始まった農耕文化や土器・石器が解説を交えて多く展示されており、当時の様子をよく理解することができます。

特に目を引くのは、竪穴式住居の再現です。

実際に中に入ることもでき、この時期はなかなか涼しいです。

下関市立考古博物館は、綾羅木郷遺跡に隣接しています。




綾羅木郷遺跡には前方後円墳の若宮古墳など、さまざまな古墳があります。

入ることができる古墳もあります。

社会科見学にも利用される、とっても興味深い場所です。

交通 JR山陰本線 梶栗郷台地駅から徒歩5分




 

関門トンネル人道

下関~門司間を徒歩で移動できる関門トンネル人道にやってきました。

みもすそ川公園の向いにあり、とっても良い景色です。

右上にある「国道2号」の標識。

実はこの人道は、国道2号線の自転車歩行者道の扱いなのだそうです。

外は雨模様ですが、人道の中はいつでも快適。

ウォーキングやジョギングをしている方がたくさんおられました。




ナイスビューパーク彦島

老の山公園のふもとにあるナイスビューパーク彦島の風車「ひこしま風丸くん」は、今日も力強くまわっています。

沖に向かうたくさんの船や、ダイナミックに舞うトンビを眺めていると、時間を忘れてしまいます。

ちょっと休憩、にちょうど良い場所ですね。




南風泊市場

下関の特産品「ふく」。その「せり」でおなじみの南風泊市場にやってきました。

昼間の漁港はおだやかで、のんびりとしています。

奥に見えるのが南風泊市場です。

シーズンには、この市場の中で活気あふれる「せり」がおこなわれています。

想像するだけでわくわくしますね。




みもすそ川公園

一日に4回流れの向きをかえる関門海峡。せまいところでは両岸の幅は700メートルあまりで、ここみもすそ川公園では、対岸の景色をはっきりと見ることができます。

 

壇之浦合戦の古戦場を一望できる場所でもあり、公園内には海を背景に義経・知盛像が建っています。




また、幕末には外国船を砲撃した攘夷戦の砲台跡地でもあります。壇之浦砲台は前田砲台と共に重要な役割を果たしましたが、連合艦隊に大敗し、すべての砲台が占領・破壊されました。外国の進んだ軍備にめざめた長州藩は、開国・倒幕へと転換し、歴史を大きく動かします。

いくつもの長州砲のレプリカが海峡をにらんでおり、時折響く「ドーン」という音に驚いてしまうかもしれません。

所在地  下関市みもすそ川町1番

 交通   JR下関駅からバス12分「みもすそ川」下車すぐ

 問い合わせ 下関市観光振興課 083-231-1350



ドリームシップ

 関門海峡のシンボルである「海峡ゆめタワー」に近接し、中央図書館、生涯学習施設機能を有する市民の文化活動の拠点となります。音響性能の優れた多目的に活用できるホールや、式典等に活用できるホールを備えています。


利便性と避難の安全性を考慮して、ホールを低層配置とし、また静寂性を確保するため、図書館を上層階へ配置しています。エントランスを中心に低層部がつくり出す都市の縁側空間、また外壁にガラスを多用することにより、沿道の自然景観の共有、さらに屋内外での活動がわかりやすい施設となります。また施設屋外の省エネルギーによる環境負荷低減の工夫を盛り込み、市民の環境への意識を高め、皆で育てていく施設づくりを行います。

 

 外観デザインは、沿道や臨海の豊かな自然環境にとけ込むように白いタイルとガラス壁面で構成し、関門海峡を進む客船をモチーフとしています。また、建物の基本高さを抑えて、街区のスカイラインを揃え、まちの景観にとけ込んでいます。さらに海や空の青さを軽やかにつなげていく水平ラインや、機能別に多様な表情を持たせた壁面により、メインファサードをつくり出します。




 インテリアデザインは、異なるそれぞれの用途に応じて個性を持たせ、利用者の楽しみと機能の分かりやすさに配慮した計画を行っています。また、素材や色彩、はっきりと見やすいデザインを備え、動線のわかりやすさも追求しています。さらに点状ブロックや平滑な床仕上を採用することにより、視覚障害者や車椅子利用者にもやさしいデザインになっています。

 

 

 

 所在地  下関市細江町3-1-1 下関市生涯学習プラザ

 交通   JR下関駅より徒歩約15分

       バス「細江町バス停」下車徒歩約5分

       中国自動車道「下関IC」より車で約15分

 問い合わせ 株式会社ドリームシップ (083)231-1234

 




お亀銀杏(亀山八幡宮)

「イチョウ」の大木を背にして、昔は島であった亀山八幡宮の一帯を埋め立てるときに、人柱となった遊女 「お亀」を祀った小さな祠(お亀大明神)があり、池には多くの亀が飼われています。

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 神社地は古くは島でしたが、江戸時代の始め頃、街の発展のために陸続きにする埋め立て工事が、毛利藩によっておこされまりました。

しかし海峡の潮の流れは速く、ひと岩沈めればひと岩を流す急流であり、工事は多大の工費と、人の命を犠牲にするのみで一向に進みませんでした。

 

町では「これはきっと神様のお怒りに触れたためだだ」と噂が広まり、とうとう困った役人は人柱を立てることを決め、さっそく海峡の流れを鎮めるため、「人身御供(ひとみごくう )としての人柱募集の高札」を立てました。

 当時、この辺りには、稲荷町(現・赤間町。当時江戸の吉原・京の島原につぐ三大遊廓の一つ)の「お亀」という疱瘡を病み顔に「アバタ」のある遊女がいました。

 

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町かどに立った人柱募集の高札を見て「お亀」は、このまま生きて身を汚すより、「こんな私でも町の人たちのお役に立つなら ば」と決心して申し出ました。

 

月明かりの夜です。「お亀」は白衣に身をつつみ、合掌して一歩一歩どす黒い海へ消えていくその姿は、仏様を思わせる気高さがあって人々は、その後姿にいつまでも念仏を唱え続けました。

「 お亀」が人柱となって海底に消えた翌日から、人々は急いで準備にとりかかり「お亀」の尊い犠牲を無にするなと急ピッチで工事を進め埋めたて工事は速い潮に悩まされる事もなく、見る見るうちに完成したと言います。

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 人々は「お亀」の功績をたたえ、亀山八幡宮にイチョウの木を植えて「お亀イチョウ」と名づけました。

生長して毎年秋に無数の実を結ぶイチョウには、何故かたくさんの斑点があり、「お亀」さんの顔の「アバタ」が残ったものと伝えられ「お亀ギンナン」と呼ばれていました。

この実は明治の頃に天然痘が流行した時は、多くの人に疫病除けのお守りとして求められたということです。

『お亀イチョウ」は昭和20年(1945)の空襲により、焼失しましたが、「お亀」さんの遺志を継ぐかのように焼け残った株から新しい芽 が出て、今では何事も無かったかのように豊かに生い茂っています。その名残である古株の跡は、今も残されています。

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「お亀イチョウ」は、秋にはたくさんの実を落し、不思議にも「お亀」さんの「アバタ」のような無数の斑点があることから、「お亀ギンナン」と呼ばれ、明治の頃には、疱瘡除けのお守りとし、今では無病息災、延命長寿のご利益があるとして、境内で売られています。

 

 神社では5月に五穀豊穣を祈る五穀祭が行われます。その時に氏子中では、「八丁浜エラヤッチャ」と合いの手を入れながら、八丁浜の囃しに合わせ杓文字を叩きシャギリ踊る、八丁浜(ハッチャハマ。八丁浜踊り、八丁浜シャギリともいう)が行われます。

いつしか博多にお株を奪われてしまいましたが、杓文字を打ち鳴らしがら「ぼんち可愛いやねんねしな」と唄って踊る踊りは、この下関が発祥の地と言われています。

「八丁浜」とは「お亀」さんの犠牲によって埋め立てられた浜地の広いことを言い、「エラヤッチャ」とは、「お亀」さんは立派な奴だの意味です。

 江戸時代、毛利藩は派手な歌舞音曲や酒宴などを禁じていましたが、八丁浜の期間中は各所に「賑わい勝手」の高札が立てられどんなに騒いでも咎められることはありませんでした。

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「八丁浜総踊り」に先立ち、「お亀明神」前で「お亀明神顕彰祭」が行われています。

戦後この行事は衰退しましたが、昭和60年(1985)市民祭として開催されることになり、現在しものせき海峡まつりにあわせ賑やかに復活し継承されています。

 

 

 所在地  下関市中之町1-1

 交通   JR下関駅からバス7分「唐戸」下車、徒歩5分

 問い合わせ 亀山八幡宮 083-231-1323